SHORTSTORY
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ラストリゾートアイランド……。
そこは欲望という名のエンターテイメントが支配する街だ。
この島に住む人々にとって、最大の娯楽は暴力なのである。
ただし、この男に関しては……そうではないらしい。
「ふふふ~ん……らんらん……ワン、ツー、ひゅ~!!」
乱麻が鼻歌を歌いながら、ゴキゲンな調子で河川敷を歩いている。
隣にいるミチルとルナのことなど、まるで気にしていない様子だ。
「ってか、乱麻。声大きすぎんだろ。鼻歌ってレベル超えてんぞ……」
「言ってもムダだって、みちる。乱麻、イヤホンしてて全然、聞こえてないから」
ルナの言うとおり、乱麻は完全に自分の世界に浸っていた。
「にゃにゃにゃ~ん♪ ぷりぷりぷ~♪」
「おいおい。にゃんにゃん言い出したぞ。大丈夫か……」
乱麻の声と動きが更に大きくなっていく。
「ってか、なんの曲、聞いてんだよ」
ミチルが乱麻のイヤホンを奪って、自分の耳にはめる。
「ちょ、みっちー! やめろよ! せっかく盛り上がってんのに」
イヤホンからはアイドルグループのにゃんにゃんした曲が大音量で流れていた。
「マジかよ乱麻。お前、こういうの聞くの?」
「あぁ? 超名曲だろうが。俺はこの子たちの曲を聞いてるときが1番幸せなんだよ」
「アイドルの尻を追っかけんのが幸せ? 情けねぇな」
ミチルの言葉に乱麻があからさまにムッとする。
「今の聞き捨てなんねぇんだけど。好きなもん追っかけて何が悪いんだよ?」
「男ならアイドルなんかじゃなくて、強さを追い求めろってんだよ」
「みっちーはそればっかじゃん」
乱麻の言葉に今度はミチルがカチンとくる。
「あぁ、そればっかの何が悪い。俺たちは強さ求めてこの島にきたんじゃねえのかよ」
「だったらよ、みっちーは男のケツを追っかけてろよ」
「べ、別に俺は男のケツなんて追っかけてるわけじぇねえ!」
乱麻とミチルの言い争いはどんどんヒートアップしていく。
二人は睨み合いながら、いきなり上着を脱ぎ捨てた。
一触即発な雰囲気にルナが慌てる。
「わ、わたしはアイドルも男の子のお尻も好きだよ! ほら、どっちもプリプリしてるし!」
場を和まそうとしたルナの言葉も、臨戦態勢に入った二人にはもう届かなった。
乱麻は拳をぎゅっと力強く握る。
ミチルは軽くフットワークを刻む。
「食らえ! 乱麻!」
「いくぜ! みっちー!」
乱麻とミチルが同時に右の拳を放った。
互いにパンチをギリギリでかわすと、すぐさま左の拳を叩き込む。
これもまた二人とも見切って、と一瞬で何発ものパンチが繰り出される。
空を切った拳のエネルギーが、突風となって周囲に吹き荒れる。
そして、その風は……ルナのスカートを激しくまくり上げるのだった。
「きゃ、きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
ルナがスカートを押さえながら悲鳴をあげる。
「うぉっ!?」
「こいつは!?」
乱麻とミチルの目が、ルナに釘付けになった瞬間……。
「バカ! エッチ! へんたい!」
ルナのフルスイングの平手打ちが、気の緩んでいた乱麻とミチルの頬を叩いた。
ふいをつかれた二人は仰向けになって草むらに倒れた。
目の前には青い空が広がっている。
「なぁ、みっちー。俺、間違ってたよ」
「……何が?」
「強さ求めるのもいいもんだな。パンチラもみれるし」
ミチルは苦笑いすると「だろ?」と呟いた。
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「乱麻、オレは強えぞ?」
「ううん。みっちー、俺の方がめちゃくちゃ強えもん」
それは10年前のことだ。
小学生の乱麻とミチルは、夕暮れの川原で睨み合っていた。
今まさに通算201回目のケンカが始まる瞬間だった。
これまでの戦績は完全に互角である。
勝っては負け、負けては勝ってをお互いに繰り返していた。
「みっちー、今日の俺はいつもの3倍強えよ。だって、ご飯を3杯食べてきたし」
「乱麻、だったら、俺はいつもの6倍強えよ。牛乳を6杯飲んできたからな」
乱麻とミチルは拳を構えたまま言い合う。
「すごーい! 今日は乱麻の勝ちかもね!」
乱麻の側でルナがケンカの行方を見守る。
「やったー! 今日こそ兄貴の勝ちだよ!」
ミチルの後ろで妹の海が目を輝かせる。
「じゃあ、さっそく始めるよ?」
「ああ! いくぞぉぉぉぉぉぉ!」
乱麻とミチルの拳が繰り出されようとしたときだ。
「ぶんぶんぶぶーん! ぶんぶぶーん!」
河原に妙な大声が響いた。
乱麻たちが声のした方を見ると、土手の上に自転車に乗った2人の少年がいた。
どちらの少年も小さな体をヤンキーファッションで固めている。
「なんだ、小柳兄弟か」
ルナが呆れた顔で呟いた。
「なんだじゃねえ!」
兄の小柳清也は顔を真っ赤にして叫んだ。
「どぅだぁ俺様のケッタマシーン!! 超絶かっこいいべ!?」
「ダセぇよ。ってか、なんだよそのハンドル。ひん曲がってるじゃねえか」
乱麻は拳を下ろすと面倒くさそうな顔をした。
小柳兄弟と乱麻は同じ小学校だった。
何かと突っかかってくる二人に、乱麻はうんざりしていた。
「あぁん!? これはカマキリってんだよ! 俺様が自分でひん曲げたんだろうが!」
清也は自転車のハンドルを握り、アクセルをふかすマネをした。
そして、口でエンジン音の真似をする。
「ぶろろろろろん! ぶるるるるるん!」
「お前ら、兄貴のチャリンコだけじゃねえぞ」
弟の純也がその場で自転車のスタンドを立てた。
「俺のチャリもイカした改造してっからな」
純也は思いっきり自転車をこぎ始めた。
周囲にジャラジャラという音が鳴り響く。
ホイールに取り付けられたプラスチックのリングが音を出していた。
乱麻とミチルは大きな溜め息を吐いた。
「みっちー。なんかしらけたな」
「そうだな、乱麻」
小柳兄弟の乱入ですっかりケンカをする気が失せたようだ。
「だったらさ、ウチでゲームでもしようよ!」
海が小躍りしながら言うと、乱麻とミチルも頷いた。
「俺様たちのことはシカトかこぅらぁぁぁぁ!?」
清也は自転車から降りると、土手を一気に駆け下りた。
「兄貴、見せてやろうぜ。俺たちの強さをよ」
純也も乱麻とミチルに向かって突進する。
乱麻は小柳兄弟をちらりと見ると、髪の毛をポリポリとかいた。
「……めんどくさ」
そう呟くやいなや、乱麻の拳とミチルの脚が、小柳兄弟を吹っ飛ばしていた。
「お前ら、次に会ったら許さんからな、こらぁぁ!」
「うわぁぁぁぁぁぁん! 先生に言いつけてやるからなぁぁぁ!」
小柳兄弟は捨て台詞を残し、改造自転車で逃げて行った。
その姿を見ながら、乱麻はふと呟いた。
「ミチルの次にいっぱいケンカしてんの、あいつらのような気がする」
「確かにそうかも」
全く同じことをミチルも思っていた。
この幼き日からの因縁は、高校生になった今も続いている。
乱麻たちと小柳兄弟のケンカの回数は、すでに数えきれないほどになっていた。
舞台をラストリゾートアイランドに移しても、街で顔を合わせれば、4人はケンカを始めるのだ。
今日もまた、子供の頃のように……。 -
「はぁ……」
数学の授業中、楓華は小さな溜め息をこぼした。
どうしたのだろう。
まったく授業に集中できない。
「……こんなことではダメ……」
集中できない理由は、自分でもなんとなくわかっていた。
今朝、幸せそうなカップルを校内で見かけた。
その姿が目に焼きつき、ずっともやもやしているのだ。
恋愛……なんだか楽しそうだし、興味がないわけではない。
でも、私には他に考えなければいけないことがある。
それは家族のことであったり、これからの生き方のことだったり……。
何気なく楓華がノートに目を移すと、そこには迷路のような落書きがあった。
楓華はもともと迷路作りが趣味だった。
それで無意識のうちに描いてしまったようだ。
迷路の周りには「恋はラビリンス」「王子様はどこに?」「私を連れ去って」という赤面ものの走り書きもあった。
こんなものを他人に見られでもしたら、恥ずかしすぎて生きていけなくなる。
楓華は迷路が書かれた紙をそっと破き、誰にもバレないように制服のポケットに押し込んだ。
うん。これで一安心。
楓華は心の中で呟いた。
× × ×
放課後の廊下をルナが考えごとをしながら歩いていた。
乱麻とミチルはどんな夕食なら喜ぶだろう。
朝食が「大盛りカルボナーラ」だったから、さらにボリュームのある「牛豚鳥の3種焼肉丼」がいいかもしれない。
とにかく今のルナは、乱麻とミチルの喜ぶ顔が見たかった。
ふと足元に目をやると、1枚の紙切れが落ちていた。
「ん。落とし物?」
ルナは紙切れを拾って、何が書いてあるのか確認した。
「……恋はラビリンス」
紙切れをルナはまじまじと眺めた。
そこには奇妙な迷路と一緒に、恋する乙女のポエムが書かれていた。
「うん。わかるなぁ、この気持ち。すっごくわかる」
誰の落とし物かはわからない。
ただ、同じ高校の誰かが書いたものには違いない。
そのポエムにルナはものすごく共感した。
「悪いけど、これもらっちゃお!」
ルナはうんうんと頷きながら、その紙切れをポケットにしまった。
× × ×
「う~ん。クレイジーなのがいいよねぇ。パンチがあるっていうかさぁ」
ショップのオーナーである可憐が、悩んだ顔で商店街を歩いていた。
「ウチは店を盛り上げなきゃいけないし」
可憐はファッション雑誌ピーチパインに、新作Tシャツのデザインを売り込もうと思っていた。
しかし、いくら考えてもこれだというアイデアは生まれなかった。
すると、目の前に紙切れを手に、うんうんと頷きながら歩いている女子高生を見つけた。
なんとなく気になって、その子の手元を覗きこんだ。
紙切れは、不思議な迷路状の絵が描かれていた。
その迷路を見た瞬間、可憐は甲高い声をあげた。
「あ、あなた! どこの誰!?」
「誰って……ルナっていいますけど」
可憐はルナの手をしっかり握っていた。
「ルナ、その紙に描かれたデザイン、ウチにちょうだい!」
× × ×
撮影スタジオにカメラのシャッター音が響く。
フラッシュが光る中、カリスマ読者モデルの海が、次々と可愛らしいポーズを取る。
一通り撮影が終わると、海は自分の着ていたTシャツの柄を指差した。
「あの……このTシャツのデザインなんですけど……」
海はずっと気になっていたことをカメラマンに聞いた。
「これって……アリなんですか?」
Tシャツのデザインは、最近女子高生に人気のショップがしたらしい。
カメラマンは海の質問にニッコリ笑って答えた。
「アリもアリ。っていうか、海ちゃんが着ればなんでもアリ!」
そういうものなのかな……と、思いつつ、海はもう一度、Tシャツのデザインを見た。
やっぱり奇妙な迷路のデザインだった。
× × ×
「な、な、な、なんでよ!?」
本屋に並んだ雑誌の表紙を見て、楓華は卒倒しそうになった。
最近人気のカリスマ読者モデルが着ているTシャツの柄が、自分が描いた落書きの迷路になっていたのだ。
「お、おまけにあの恥ずかしいポエムまでご丁寧に……」
迷路を描いた紙切れは不覚にも学校でなくしてしまった。
誰かに見られたら恥ずかしいと思っていたが、それがどうしてこんな事態になってしまったのか……。
楓華は財布をきつく握りしめると、全財産で雑誌を買い占めることを決意した。
落書きの迷路で繋がった4人の少女たち。
この後、2人の男を通じて4人は出会うことになるのだが……それはまだ少し先の話である。
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ラストリゾートアイランドは、あらゆる欲望が渦巻く島だ。
腕っぷしの強さだけではなく、カジノで富を掴もうとする者も多い。
派手なネオンが輝く中、カトレアが颯爽と歩く。
チャイナドレスのスリットからは、長く美しい足が伸びている。
カトレアはこの場所にいる他の誰よりも大きな野望を持っていた。
その美貌を足がかりにして、世界的なスターにのし上がり、富と名声を手に入れるつもりだった。
もちろん、リスクは承知している。
大胆かつ慎重に行動しなければ、転落の道を進むことになるだろう。
この島では夢と絶望は常に背中合わせなのだ。
それでも失敗は許されない。
貧しい家庭に生まれたカトレアには、養っていかなければならない妹たちがいたからだ。
ホテルの前の通りに真っ黒な高級車が止まった。
すぐに車を取り囲んで人だかりができる。
「……もしかして」
カトレアが見入っていると、車のドアを運転手が開けた。
車の中から出てきたのは、世界的に有名なアクションスター……劉 无常だった。
劉の姿が現れるなり、周囲に大歓声が起きた。
カトレアの思っていた通りだった。
カジノには金持ちや有名人が連日やってくる。
そんな連中にうまく取り入ることも野望達成には必要だった。
カトレアは人波をかきわけ、劉の目前まで辿り着いた。
「私、カトレアと言います。あなたの映画は全て見ています」
劉はカトレアの目を見ると薄く笑った。
「いい目してるね、あなた」
予想外の反応にカトレアは戸惑った。
ルックスにはもちろん自信はあるが、劉に褒められるとは思っていなかった。
劉はカトレアに近付くと、耳元で静かに囁いた。
「あなたは私と同じ……欲望に忠実な目をしている」
「えっ?」
「きっとまたこのカジノで会えるね」
そう言うと劉はホテルの中に入ってしまった。
気が付くと通りには誰もいなくなっていた。
劉とさらに親しくなりたければ、やはりまず金が必要だ。
もっといい服を着て、高いアクセサリーを身に着け、女としてのグレードを上げるしかない。
もちろん、そのための手段も用意している。
「待たせたじぇ」
カトレアの背後にタトゥーだらけの男が立っていた。
右京紫苑……九条カンパニーの幹部で、カジノを取り仕切っている男だ。
「あんたが今日からディーラーとして働く女かい?」
「ええ。そうよ」
まずはカジノでディーラーとして働く。
そこで人脈を作って、金を手に入れるつもりだ。
「ひひひ。俺様があんたの上司。よろしくだじぇ」
右京はそう言うと、ポケットから札束を取り出した。
そして、いきなり札束でカトレアの顔を引っ叩いた。
「な、何をするの!?」
頬を押さえながらカトレアは怒った。
「ディーラーが目をギラギラさせてどうする?」
右京はニヤニヤ笑いながら、もう一度、カトレアの顔を札束で張った。
「客に目をギラギラさせるんだじぇ」
あまりの屈辱にカトレアの顔が真っ赤になった。
しかし、ここで怒ってはディーラーとして働けなくなる。
カトレアは唇を噛んでぐっと堪えた。
「いいじゃん。いいじゃん。その顔、いいじゃん」
右京はいきなり札束を宙にばら撒いた。
「ご褒美にこれ全部やるじぇ。さあ、拾いな」
ばら撒かれた金額はおそらく100万円はある。
カトレアは地べたに這いつくばって金を拾った。
その様子を見て右京がゲラゲラと笑う。
「あんたみたいないい女が、なんて格好してるじゃん!」
カトレアは全ての金を拾うと、自分のバックにしまった。
すると右京は嬉しそうな顔をした。
「これからも俺様を喜ばせれば、もっと金をいっぱいやるじぇ」
「あなたはどうすれば喜ぶの?」
「俺様は血が好きなんだぁ。って聞けば何するかはわかるだろ?」
「そんなことならいくらでもどうぞ」
カトレアは右京を見つめて小さく笑った。
「さあ、カジノに案内して。今日から働きたいの」
すでに覚悟は決めていた。
今更、恐れるものは何もない。
こうしてカトレアのカジノでの生活が始まる。 -
「……ふぅ」
いつもの喫茶店。いつもの1番奥の席。
飲み慣れたバナナシェイクの味が口に広がると、白石はようやく一息つくことができた。
この島はいつもどこか騒がしい。
男たちの怒声に女の子たちの歓声……。
白石にとってはそのどれもが苦手だった。
だから、喧騒から離れることができるこの喫茶店は、白石にとって大切な場所になっていた。
「さて、続きを読もう……」
バナナシェイクを半分ほど飲むと、白石は鞄から本を取り出した。
すると、喫茶店のドアが乱暴に開かれた。
「白石ぃぃぃぃぃ! なぁにしてんだぁこんなところでぇ!?」
小柳清也が怒声をあげながら、ドカドカと白石のもとへとやってきた。
清也の背後には弟の純也もいた。
「こ、小柳さん、純也クン、どうして二人がここに?」
普段なら白石はこんな迂闊な質問はしない。
大切な場所に二人がやってきたことで動揺してしまったのだ。
「あぁん!? 俺らが茶ぁーしばいちゃいけねぇってのか!?」
「そ、そんなことはないけど……」
白石がしどろもどろになると、純也が薄く笑った。
「お前がここに入る姿を見かけたんだ」
店に入る前に周囲を確認しておけばよかった……白石は心の中で激しく後悔した。
「んでぇ、白石ぃ!? お前はここでなぁにしてんだよぉ!?」
清也が店の外まで響くほどの大声を出した。
喫茶店の他の客が一斉に首をすくめる。
「何って……僕は読書を……」
「読書!? エロ本かぁ!?」
「違うよ。『ジーキル博士とハイド氏』だよ」
白石は本の中身を清也に見せた。
すると途端に清也が白目になり、口から泡を吹いた。
「白石、てめえ何やってんだ! 兄貴を殺す気か!」
純也が白石の手から本を叩き落した。
「こ、殺すって……」
「兄貴は一度にたくさんの活字を見ると心臓が止まっちまうんだよ!」
「ご、ごめん。そうなんだ」
白石は急いで本を鞄の中にしまった。
目の前から活字が消えて、清也は意識を取り戻した。
「白石ぃ! てめえ、やべえもんもってんじゃねえよ。サツに通報すんぞ!」
清也は口の泡を服の袖で拭うと、テーブルの上に雑誌を置いた。
「いいか、白石!? 読書ってのはこういうもんだろが!」
テーブルの上に置かれたのは「バリバリロード」というヤンキー雑誌だった。
表紙には「一番スゲエのはヤンキーなんだよ!」と書かれている。
「白石ぃ、おめぇも読め!」
「……いや、僕はこういうの興味ないから……」
白石が雑誌を押し戻すと、清也が不機嫌な顔になった。
「白石ぃ、おめぇ、いつから拒否できる立場になったんだ!?」
ああ、いつもこうなるんだ……。
白石は心の中で呟いた。
この島では強い奴が絶対だ。
だから、白石兄弟の言うことには従わないとならない。
理不尽だ。理不尽すぎる。
こんな世界は間違っているのだ。
白石の胸の奥底でぐつぐつと何かが沸騰していた。
「んじゃま、白石ぃ! 明日の昼飯のときに焼きそばパン10個買ってこいや!」
「それで今回は許してやるよ」
そう言い捨てると、小柳兄弟は喫茶店を出て行った。
白石はバナナシェイクのグラスを握りしめた。
「……今はまだ……まだそのときじゃない」
パリーン、という音が店内に鳴り響いた。
割れたグラスによって、白石の手は赤く滲んでいた。
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「んじゃ、みっちー。とりあえず牛1頭分くらいいっときますか」
「乱麻、さすがにそんなには食えねーだろ」
乱麻とミチルは食べ放題の店にやってきていた。
最近オープンしたばかりなのだが、料理の種類が豊富だと評判になっていた。
「元を取るにはたくさん食わねーと損じゃん」
「それで残しでもしたら、あとでルナにぶっ飛ばされるぞ。食い物を粗末にするなってよ」
「みっちー、ここは俺たちの胃袋を信じようぜ」
乱麻とミチルは腕まくりをして料理のテーブルに向かった。
「見ろよ、みっちー。ここ、なんでもあるんだな」
乱麻が子供のような笑顔でテーブルに戻ってきた。
大皿にはハンバーガーが山のように盛られている。
「乱麻、お前そんなに食えるのか?」
「ハンバーガーなら余裕だし。ってか、みっちーだってそんなに食えるのかよ?」
ミチルの前には何皿ものビーフシチューが並んでいた。
「オレにとっちゃ、ビーフシチューは水のようなもんだからな」
ミチルが自信満々の顔でそう答える。
「いやいや。水にしたってそんなに飲めないだろ」
「まあでもよ、これ水じゃねし。ビーフシチューだからな」
「そうだけどさ……みっちーがビーフシチューは水だって言ったんだろ?」
わけのわからない会話をしながら2人は料理を口に運んだ。
「うまい! うま過ぎる! 肉汁じゅんわ~!」
両手にハンバーガーを持ち、乱麻は次々と口にほおばる。
「いや、こっちもやべえって! ビーフのダシ? わかんねえけどはんぱねえ!」
ミチルもかきこむようにビーフシチューをたいらげていく。
「これならいくらでも入るぜ!」
乱麻の言葉を聞いて、ミチルの眉がピクッと動いた。
「いくらでも? んじゃあ、乱麻、勝負するか!」
「みっちー、悪いけど大食い勝負でも俺はてっぺんとるし」
2人は目の前にあった料理を一気にたいらげ、すぐさま新たな料理を取りに行った。
「楽勝楽勝。ハンバーガー30個め完食したんだけど」
乱麻は得意気にお腹をポンポンと叩く。
「いや、オレだってビーフシチュー30皿目だぜ?」
ミチルも負けじと言い返す。
2人の戦いは互角だったが……すでに胃袋の限界を超えていた。
乱麻とミチルはぼんやりと天井を見つめていた。
「やべえ……口から出てきそうだ……」
「ってことはオレの勝ちだな、乱麻」
「俺は口から出そうって言っただけ……まいったなんてしてねえし」
そう言って乱麻がふらふらと立ちあがったときだ。
「なんだ? お前らもきてたのか」
乱麻とミチルに声をかけてきたのは……天命だった。
天命は地元バイカーチームのリーダーである。
乱麻たちとは、ある一件で知り合いになった。
「ここの食い物、なかなかうまいよな」
天命の手の皿には、ステーキが山のように盛られていた。
「真田さん……うまいのは確かだけど、食い過ぎると後悔すんぞ……」
「あ? これくらい余裕だろ。すでに90皿目だけどな」
天命は意気揚々と自分の席に戻って行った。
「90皿……」
乱麻とミチルは呆然として顔を見合わせた。
「……みっちー、大食いはてっぺんじゃなくてもいいよな」
「……そうだな、乱麻。同感だ」
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静かなバーのカウンターで、芹菜がウイスキーのボトルを手にしている。
「金丸の飲みっぷり、男らしくって素敵」
チョイワルオヤジ風の男のグラスに、芹菜はウイスキーをなみなみと注ぐ。
「わっはっは! そうかそうか! ワシはまだグイグイ飲めるで!」
金丸はウイスキーを飲みながら、チラチラと芹菜の胸元を覗き見る。
ライダースーツに身を包んだ芹菜の胸元は、惜しげもなく大きく開いていた。
芹菜はいろいろな雑誌で引っ張りだこのフリーライターである。
なぜ、その若さで売れっ子になれたのか。
それは芹菜がスクープハンターと呼ばれているからだった。
「さすがにちぃとばかり飲みすぎたかもしれんなぁ……」
金丸が赤い顔で鼻を伸ばすと、芹菜の目が猫科の獣のように光った。
「ふふふ。酔っ払ってる金丸も素敵よ」
「ほんまかぁ? ワシ、酔っ払うとオオカミになるんやけど……」
金丸がそう言いながら芹菜の足に軽く触れる。
その手を振り払うこともなく、芹菜は妖しげな目で金丸を見つめる。
どんな手段を使ってもスクープはスクープ。
芹菜は女の武器を使うことになんの躊躇もなかった。
「私、危険な男に弱いの……」
芹菜の甘い声に金丸のノドがゴクリと鳴る。
「そらちょうどええ。ワシはかなりデンジャラスな男やで」
「そうね。金丸って普通の人とどこか違う感じがするわ」
芹菜がそっと金丸の手を握る。
「金丸なら私を最高のエクスタシーに導いてくれるかも……」
「ああ、まかしときや。ワシがせりちゃんを天国に連れてったるわ」
興奮した金丸が芹菜を抱き寄せようとする。
「その前に聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと?」
金丸はおあずけを命じられた犬みたいな顔をした。
「最近、勢力を伸ばしてきたバイカー集団について教えて」
芹菜がラストリゾートアイランドにきた理由……それはこの島の真実に迫ることだった。
この島には謎が多い。
一体、誰がなんのために、強さが全ての世界を作り上げたのか。
それを知るためには、この島の強者たちに近付く必要がある。
そして、最終的に真実に辿り着けば、かつてないスクープになるだろう。
金丸はバイカー集団についていろいろと話してくれた。
その声を芹菜はこっそりとスマホで録音した。
金丸の話によると……。
バイカー集団のトップの名は、真田天命。
巨体を生かしたケンカファイトで、どんな相手にも容赦はしない。
しかし、冷血漢というわけではない。
バイカー集団の仲間からは、絶対的な信頼を得ている。
力こそが全てのこの島で、他者から信頼されるなんて……芹菜は天命という男に興味を持った。
「これは取材する価値があるかも……」
そう呟くと芹菜はカウンターから離れた。
「お、おい。どこにいくんや」
慌てた様子の金丸に、芹菜はバイバイと手を振った。
「今夜は久方ぶりにフィーバーできると思ったんやけどなぁ……」
去りゆく芹菜の背中を、金丸が寂しそうに眺めた。
「まあ、ええか。危険をこよなく愛する女なら、また会うことになるやろ」
金丸の情報網が正しければ、2人の男の到来によって、もうすぐこの島は荒れる。
街中が危険な状態になることだろう。
2人の男の到来を偶然とみるか。
運命とみるか。
それとも……。
「まあ、どっちでもええか。楽しくなれば」
金丸は嬉しそうに笑うと、グラスに残ったウイスキーを一気に飲み干した。
-
ラストリゾートアイランドのメインアリーナでは、毎日のように格闘技の試合が行われている。
それはこの街での生き残りを賭けた戦いだ。
ビッグマネーを掴みたければ試合に勝ち続けるしかない。
そんな公式戦に背を向けている連中もいる。
もっと過激で強い相手を求めて、繁華街の地下室などで戦っているのだ。
試合が危険な分、ファイトマネーも高い。
「レッディースアンドジェントルメーン! 劉アクションクラブ主催の異種格闘技戦へようきた!」
リング上で金丸がマイクを手に叫んだ。
「これより本日のメインイベントのはじまりじゃ!」
チャンピオンのドラゴンマスクと挑戦者のマックスが、リングの中央で睨み合う。
マックスは拳を上げてアピールし、対するドラゴンはバク宙を決める。
メインアリーナが異様な雰囲気で盛り上がった。
戦いを告げるゴングが鳴り、第1ラウンドが始まった。
いきなりマックスが弾丸のようなタックルを仕掛ける。
ドラゴンは軽快な動きで、するりとマックスをかわした。
それでもマックスは何度もタックルで突っ込んでいく。
両者ともマスクマンでありながらも、格闘技のベースがしっかりした実力派だった。
「調子に乗らないことね!」
ドラゴンのカウンターの膝蹴りが、マックスの顔面をとらえた。
タックルで突っ込んでいた分、強烈なカウンターになった。
しかし、マックスは怯むことなく、ドラゴンの両足を抱えると、背中からマットに叩き付けた。
会場は爆発したような声援に包まれる。
「うおおっ!」
マックスが殴りかかろうとした瞬間のことだ。
ドラゴンはマックスの太ももに、隠し持っていたフォークを突き刺した。
「おい、みっちー! 見たか!?」
乱麻とミチルはドラゴンの凶器攻撃をリングサイドで確認した。
「ああ。あの野郎……汚ねえ手、使いやがって」
2人はある事情からマックスのジムで格闘技の練習していた。
今日もその縁でリングサイド席を用意してもらったのだ。
フォークで太ももを刺されてから、マックスの動きはがくんと鈍くなった。
ドラゴンの打撃が面白いように決まり始める。
「これでお終いよ!」
「くそっ、みっちー! マックスさんを助けるぞ!」
乱麻の目が血走っている。
「そうだな、あんな汚い真似されて黙ってられっか」
しかし、試合に乱入するにしても、顔がバレたらマックスさんに迷惑がかかる。
「乱麻、こういうときのために用意しておいたもんがあるんだ」
ミチルはマックスと同じマスクを2つ取り出した。
「みっちー、気が効くぜ!」
乱麻とミチルはマスクをかぶると、リングに向かって一直線に走った。
2人の偽せマックスはリングに入るなり、ドラゴンにダブルドロップキックを放った。
謎の選手の乱入に観客は大興奮だ。
この街は強さが全てだ。
特に地下の試合はどんな手を使っても勝った方が称賛される。
レフェリーもそれがわかっているので、試合を止めずにスルーしてくれた。
「マックスさん、やるぜ!」
乱麻がドラゴンをリングのコーナーに叩き付ける。
そこにマックスが全身で飛び込んでくる。
渾身のラリアットをドラゴンの喉元に叩き込む。
「うぐっ……」
しかし、それでもドラゴンをK.O.できなかった。
「そっちがその気ならこっちも……」
ドラゴンはパチンと指を弾いた。
すると観客席の中からドラゴンの仲間が何人も乱入してきた。
マックスチームとドラゴンチームで大乱闘が始まった。
レフェリーがゴングを要請し、さすがに試合はノーコンテストとなった。
「あ、あれ? ドラゴンがいねえぞ。どこ行った?」
乱麻がきょろきょろと見渡すと、ドラゴンの姿がリング上から消えていた。
「ふう。なかなか。面白かったね」
控室に続く廊下で、ドラゴンはマスクを脱いだ。
マスクの下の素顔は、世界的にも有名なアクションスターである劉 无常だった。
「マックスと……その弟子2人……今度はもっと楽しみたいね」
なぜ、劉がラストリゾートアイランドで格闘技の試合をしているのか……。
それはマックスとの再戦のときに明らかになるのだった。
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「はぁ……ちかれたなぁ……」
松子はスラム街をもう何日も彷徨っていた。
白くむっちりした太ももは疲労でパンパンに張っていた。
道端にあったビールケースに腰かけ、松子は大きく溜め息をついた。
「おっとさん……どこ行っちまったんだ……」
数日前、松子の父がボロボロになった姿で帰ってきた。
「俺は負けた……もう終わりだ……」
松子の父の頬に涙が伝った。
ラストリゾートアイランドでは強者が全てを手にする。
格闘技の大会で勝ち続ければ巨額のファイトマネーが得られるし、ストリートファイトで目立つだけでいい仕事に就いたりもできる。
網膜剥離のために若くして引退したが、松子の父はボクシングの世界ランカーだった。
しかし、そんな過去の肩書きはこの島では通用しなかった。
「今日で俺は3連敗……大会の出場権を失った……」
居間の畳に額をこすりつけ、松子の父は激しく嗚咽した。
「……松子、お前に楽をさせたくて、この島にきたのに……なんてザマだ……」
そんなことない、と松子は父の背中にすがりついた。
おっとさんはちっとも弱くない。おっとさんは最高のおっとさんだ。
そう心に呟きながら、松子は力いっぱい父の背を抱いた。
しかし、松子の思いは父には届いていなかった。
ボロボロになった日の翌朝、置き手紙を一枚残して、松子の父は姿を消した。
手紙には一言「すまない」とだけ書かれていた。
松子の母は10年前に病気で死んだ。
それからはずっと父と子二人で暮らしてきた。
松子は別に裕福な暮らしなど欲してはいなかった。
優しくて逞しい父を影から支え、いつまでも一緒にいられればそれでよかった。
しかし、一度は栄冠を手にした松子の父は、小さな幸せでは満足できなかったのだ。
「おっとさん、なして1人で逃げちまったんだぁ……」
弱音が口からこぼれると、体の力も一緒に抜けていくようだった。
何もない。もう自分には何もない。
父も母もいなければ、生きる目的もない。
何もかも終わってしまった……そんな空虚な気持ちが、松子の心を支配していた。
そんなときだった。
「いいやまだだ! まだまだまだまだ終わりじゃねえ!」
突然、力強い男の声が街中に響いた。
その声に引かれるように松子は顔を上げた。
すると、ビルの大型スクリーンに、マイクを持ったプロレスラーの姿が映っていた。
「どんなに追い込まれても、カウント2.9ならまだ負けじゃない!」
マスクをかぶったプロレスラー……マックス・紅蓮ハートの魂の叫びに、松子は釘付けになっていた。
スクリーンに映っていたのは、マックスの過去の名勝負だった。
映像の中のマックスは、どんなに打ちのめされても、何度でも立ち上がっていた。
「この人……なんて強い人なんだべか……」
マックスの闘う姿を見ているうちに、松子の顔には血色が戻っていった。
「あたすもまだ終わりじゃない!」
体のあちこちは痛み、空腹でお腹の音は鳴り止まない。
それでも松子は勢いよく立ち上がった。
松子がマックスのジムを訪ねるのは、それから少し後の話だった。
生活していくためには仕事が必要だった。
プロレスの世界にも興味があった。
そして何より……松子はマックスに父親の姿を重ねていた。
どんなに追い込まれても逃げない。
こうあってほしかったという理想の父親の姿を……。
-
「へー、九条さんもオルタナに興味があるんだ!」
嬉しそうに白石が言うと、楓華も笑顔で答える。
「白石さんも好きだったのね。なんだか意外だわ」
放課後の教室で白石と楓華が楽しそうに会話をしていた。
まるで付き合いたてのカップルのように見える。
そんな幸せそうな空間が教室いっぱいに広がっていた。
「ぐぎ……ぐぎぎぎ……」
そんな2人の様子を乱麻が歯ぎしりをしながら眺めていた。
「ぐご……ぐごごご……」
乱麻は奥歯が砕けそうになるほどに食いしばる。
とうとういてもたってもいられず、白石と楓華の席へと近づいていった。
「白石君、会長とずいぶん楽しそうに会話してるじゃん……」
乱麻の言葉に白石と楓華は顔を見合わせて微笑んだ。
おいおい。マジかよ。
なんかもうカップルみたいじゃねえか。
超やべえって。
乱麻は髪の毛をかきむしらんばかりに動揺していた。
それでもなんとか必死に平静を装った。
「神代君はノクモンって知ってる?」
楓華からの質問に乱麻は困った。
ノクモン?
なんだ、それ?
全く聞いたことがない名前だった。
しかし、ここで知らないと言えば、2人の会話に入っていけない気がした。
「もちろん知ってるぜ。あれだろ? ほら、新しいゆるキャラの……」
「……え?」
楓華が困惑した表情をしている。
「ノクモンってKNOCK OUT MONKEYのことよ?」
これはまずい。
明らかに間違えた。
どうする? どう対応すればいい?
焦る乱麻だったが、咄嗟に閃いた。
ここでさっきの2人の会話を思い出したのだ。
「わかってるって。オルタナロック……バンドだろ?」
「そうそう! 神代君も知ってたのね!」
楓華の笑顔を見て、乱麻は安堵した。
「w-shunがすごくいい声なのよね」
「僕はギターのdEnkAが好きなんだ。あっ、もちろん亜太もだけど。ナオミチも最高に格好いいよね」
「あっ、白石君ずるい。だったら私もノクモンの全員が好きよ。ふふふ」
白石と楓華は楽しそうに笑いあっている。
その横で乱麻も調子を合わせていた。
しかし、心中は穏やかでなかった。
2人とも超盛り上がってるじゃねえか。
なんだよこれ。
超うらやましいんだけど……。
乱麻が黙っていると、白石が話を振ってきた。
「神代クンはノクモンのどの曲が好き? やっぱり『OH, NO』?」
やっぱりなんて言われてもわかるわけがない。
このままずるずると話を続けていたらいずれボロが出る。
ならば、早めに決着をつけるべきだ。
乱麻は真面目な顔で楓華と白石を見つめた。
「あのさ、2人にぶっちゃけ聞くぜ」
楓華と白石はきょとんとした顔をする。
「もしかして付き合ってたりなんかしちゃってる?」
しばしの沈黙のあと、
「は、ははは……」
「ふふふ。ふふふふふ……」
楓華と白石が一緒に笑い出した。
どうやら2人は音楽の趣味が合うだけの関係のようだ。
ちょっと安心した乱麻だったが、すぐに警戒心を強くした。
なぜなら、楓華と白石が並んでいると、やっぱりお似合いのカップルに見えるからだ。
白石君……こいつは油断できねえぜ。
こうなったら……俺は学校の帰りにノクモンのCDを買うぜ!
そう心に決めた乱麻であった。
-
九条骸は不機嫌そうな顔で、そびえ建つビルを見上げていた。
「くだらんな……」
骸は独り言のように呟いた。
完成したばかりの九条ビルディングは、富と権力の象徴に相応しい建物だった。
しかし、骸の心は虚しさで満ちていた。
「ふふふ。なんだか誇らしい気分になりますね」
骸の隣にいた秘書の舞が嬉しそうな声を出した。
「誇らしい? なぜ?」
骸がぶっきらぼうに聞くと、舞はきょとんとした顔をした。
「なぜって……てっぺんって感じじゃないですか。このビル」
舞の表情がパーッと明るくなった。
大人っぽい雰囲気の舞だが、実は「ヤンキー」のノリが大好きだった。
てっぺん、バリバリ、夜露死苦といった言葉を聞くと、身をよじるほどに興奮してしまうのだ。
「さ、九条様! 最上階からこの島を見下ろしましょ」
舞が軽い足取りでビルに向かって歩き出した。
骸が小さな溜め息をついたときだ。
「九条骸!」
険しい怒声に振り返ると、みすぼらしい恰好の男が立っていた。
男はボクシングのファイティングポーズを構えた。
この島で金と名誉を得るために、いきなり骸に挑んでくる者もいる。
もっとも、100パーセント返り討ちの目に遭うのだが……。
「……お前は?」
男の顔に骸は見覚えがあった。
ボクシングの元世界ランカーで、この島の格闘技大会にも出場していた。
確か、3連敗して出場資格を失ったはずだが……。
「全てを失ってやけになったのか?」
骸が冷たく言い放つと、男は大きく首を横に振った。
「全てを失ってはいない!」
男は決死の表情で向かってきた。
「俺は父親として……松子のために……」
負け犬であったとしても、覚悟を持って挑んでくるのなら、全身全霊で叩き潰す。
それが骸という男だった。
「ならば、相手をしてやろう」
骸が拳を握った瞬間だった。
男は口から血を吐き、前のめりに倒れた。
その背後には全身にタトゥーを入れた男……右京紫苑が立っていた。
右京が男の首筋に手刀を落としたらしい。
「ひっひっひ。九条さんを殺すのは俺様だからねぇ」
タンクトップ姿とは裏腹に、右京は九条カンパニーの幹部である。
右京は倒れた男の頭をいたぶるように蹴飛ばした。
その様子を舞がうんざりした顔で見つめている。
「……本当にゲスな男ですね」
「血だぁ! もっと血を流せぇ! もっと俺様を楽しませるんだじぇ!」
男をいたぶるように右京は蹴り続ける。
「やめろ!」
いきなり骸が声を荒げた。
その迫力に気圧されて骸の足が止まった。
「お前ではこの男からは何も奪えない」
「奪えない? こいつを倒したのは俺様だじぇ?」
「右京、だからお前は三流なんだ」
仮に息の根を止めたとしても、この男から父親としての矜持は奪えない。
勝っても奪えないものがあるなら、闘う意味も必要もない。
「お、俺様が三流!? どうして!?」
骸は右京の問いには答えず、ビルの中へと入っていった。
ビルの最上階には骸の私室があった。
島の全てを見下ろすことができる部屋で、骸は軽いシャドウボクシングをしていた。
肩と腰が柔らかく動き、パンチが鋭く伸びる。
日々の鍛錬を欠かさないせいで、若かった頃と変わらない強さを維持している。
「いつやってくる?」
骸はまだ見ぬ男の姿を夢想した。
どんな風に成長したのか。
どれだけ強くなったのか。
その男と拳を交えるのが、楽しみで仕方がなかった。
勝っても負けてもいい。
その瞬間のためだけに生きているのだ。
シャドウボクシングの動きに熱が入ってきた。
いつの間にか柄にもなく、子供のように夢中になっていた。
骸の顔に小さな笑みが浮かんだ。
-
商店街を洗面器片手に乱麻とミチルが歩いている。
2人の後ろには気まずそうな顔のルナがいた。
「ったく、風呂を沸かそうと思ったら水道管が破裂するなんて……まるで漫画だぜ」
乱麻がポリポリと頭を掻く。
「うぅ……だからゴメンって言ったでしょ……」
ルナはトレードマークの二つ結びをイジった。
「やっと着いたぜ。ここが『うたかたの湯』だ」
ミチルが指差した先には、日本家屋風の銭湯があった。
看板に書かれた「湯」の文字は消えかけており、銭湯というよりお化け屋敷のような外観だった。
ルナはちょっと引いた顔をしていたが、乱麻とミチルはさっさと中に入っていた。
「ちょ、待ってよ」
慌ててルナも2人を追いかける。
「それじゃ、お風呂が終わったら入り口で集合ね」
ルナが「女」ののれんを潜って行くと、乱麻がその後へ続こうとする。
「おい、乱麻……古くさいボケはやめろ」
「すまん……つい」
ミチルが乱麻の襟首を掴んで男湯へ引っ張っていく。
番頭のお婆さんに入場料を払って、2人は脱衣所へと向かう。
男湯の客は乱麻とミチルの二人だけで実質貸し切り状態だった。
パッと服を脱ぐと、浴場で体の汗を流した。
「富士山の絵って本当に描いてあるんだな」
乱麻が壁に描かれた絵を見て、ポカンとした顔をした。
「銭湯なんて初めてだけどよ、思ったよりも良いもんだな」
ミチルが湯船に体を沈めながら言った。
「みっちー……」
乱麻が天井を見ながら呟いた。
「女湯と男湯って……天井は繋がってるんだな」
すると女湯の引き戸がガラッと開く音が聞こえた。
「あら、百合川さん……奇遇ですね」
「楓華さん? こ、こんにちは」
女湯から楓華の声が聞こえてきた。
乱麻は思わずずっこけて頭まで湯船に浸かってしまった。
「あー! ルナに楓華じゃん! こんなトコで会うなんて、ちょーうける!」
なんと今度は可憐の声だ。
乱麻とミチルはごくりと息を飲み、無言で耳のアンテナを女湯に向けた。
その後も、ぞろぞろと女の子たちが集まってきた。
いつしか女湯には、ルナ、楓華、可憐だけでなく、松子、カトレア、芹菜まで揃っているようだった。
「それにしてもー、芹那ってマヂでおっぱい大きいよね」
「うふ、ありがとう。可憐のおっぱいも素敵よ」
女の子たちのキャッキャした声が嫌でも聞こえてくる。
乱麻とミチルはいつの間にか壁にへばりついていた。
「松子、どうして隅っこにいるの?」
「カトレアさん……あたす、体に自信ねぇし、恥ずかしくて……」
「落ち込まないで。松子の胸、すごくいいカタチよ」
「あ、あぁ……カトレアさんやめてけろ……どこ触ってるだ」
乱麻とミチルは真っ赤な顔で女の湯の会話に聞き入っていた。
「それにしてもこいつはやべえ……」
興奮した乱麻が壁を押すと、タイルがポロっと外れた。
むき出しになったコンクリートに小さな穴が空いていた。
その穴の先には間違いなく桃源郷が広がっている。
乱麻の頭から理性が吹き飛んだ。
「わりいな、女の子たち! 恨むなら銭湯の壁を恨んでくれ」
乱麻は穴から女湯を覗いてみた。
女湯の中は湯気で真っ白だった。
楓華たちの声も聞こえなくなっている。
なんてこった……。
みんな髪の毛でも洗っているのか?
乱麻が歯ぎしりをしていると、また誰か1人女湯に入ってきた。
よしっと乱麻は小さくガッツポーズをした。
湯気で体は見えないが、女の子の顔はすぐにわかった。
「う、海ちゃん!?」
乱麻が我に返って振り返ると、ミチルが怒りの表情で、指をボキボキと鳴らしていた。
「乱麻、海の裸を見たのか?」
「み、見てない! 顔しか見てない!」
「嘘つけ! そんな都合のいい話があるか!」
乱麻とミチルのバトルが湯船の中で始まった。
その頃、女湯では……。
女の子たちが髪の毛のシャンプーを洗い流していた。
すると男湯の方から、乱麻とミチルの争う声が聞こえてきた。
しかし、まさか銭湯にまできて、ケンカをしているとは……さらにその原因が覗きだとは、さすがに誰も思わなかった。
「あんなはしゃいじゃって。2人とも子供みたいね」
ルナがそう言うと女の子たちは一斉に笑った。